真我では、本来の自分を発揮するために、まずは邪魔をしているものと取り除きます。手放すという表現も使われるように、自分で自分自身を苦しめることもあるのです。
しかし本を読んで分かったつもり程度の状態ですと、どうしても自己中心的(エゴ)を元にしたうわべだけの知識となってしまいます。
いわば平たく考えるのではなく、時間軸を含めての考え方ができません。 そのため、善し悪し基準となりがちで、他者批判、自己批判に結びつきやすいのです。
例えば、自分に足りないことをせめて不幸であることを認識するとういのもよくあることです。 その欠点のためには祈り、信心が必要であるとか・・・ 足りないというのが前提だったりします。
しかしこれも、論者に問題があるともいいきれません。 なぜなら自分の周りの人間は、自分自身が引き寄せている人たちだからです。 いわば、お互いが必要な状態のため、合ってしまうようなものなのです。
教育の原因なのか、なぜか人生に優劣をつけたがる人も少なくありません。 優劣のためには、過不足があり足りない物を補うために人生を迷うことになってしまうのです。
この不安な気持ちは、真我に興味をもつきっかけにもなりますが、ある人たちにとっては格好の餌食に見えたりもします。
なぜなら「不安」にコントロールされている人は、どんなに優秀でも良い判断はできません。 つまり勉強をしようが努力をしようが自分をコントロールできくては意味がないのです。
本来の宗教は人を助けるものでした。 しかし近年は税金の問題などビジネス色が強く、いかに依存させるか?というのが大切なポイントになっていたりします。
真我では、他人の価値基準ではなく自分を発揮するものだ!と強く認識されることをおすすめします。